無地の汚れ

雉も鳴かずば撃たれまい。

タキサイキア感想1

 タキサイキア現象。

 

 危機的状況に陥った時に物事をスローモーションに体感する現象の名前で、ギリシャ語で「頭の中の速度」という意味である。

 

 死を感じた時、脳が失血による死を防ぐために、凝固しやすい血液にする化学物質を出すなどフル稼働し、そこにリソースを割くことで生存以外の機能、つまり感覚がおろそかになる、という原理らしい。

 

 が、自分はもう一つの説を推したい。

 

 危険を感じた際、人間の脳は安全を優先するべく、思考速度を倍速にするというものである。前述の説では自身の死以外の危機的状況(例えばスマホを落としたり、電車で眠っていてふと目を覚ました瞬間に下車予定駅だったり、といった生命には直接かかわらない状況)に対応しなくなってしまうし、人間は日頃脳の機能に大きな制限がかかっていて、特殊な状況下においてフル稼働するということらしいので、思考速度の倍速説の方が人間の危機回避に対する能力としては妥当だといえる。

 

 この説を見て、なるほど「タキサイキア」は綾瀬志希のメインボーカル曲に相応しいタイトルだと思った。

 

 いや別にうっかりさんだという話でなくて。 

 

 このブログに辿り着く手段は大きく限られており大方自分がTwitterに貼ったURLからここにやってきたものだと思うし、フォロワーの皆様はTwitterでも耳にタコというか眼球に穴が開くくらい(?)この曲名を見ていると思う。

 

 簡単に説明するが、自分の推しメンがグループにおける「メインボーカル制」…6人のメンバーから一人主役を選抜する制度…のトップバッターに抜擢されたのである。実際のところ、同グループの青柳透のメインボーカル曲「SoYoung」と同じシングルに両A面で収録されているので二人が同時にトップバッターを務めたことになるが、厳密に言うと先に公開されたのが綾瀬の「タキサイキア」だったので正味綾瀬がトップバッターであった。

 

 正直喜びより先行して胃痛がした。

 

 まずメインボーカル制度の先駆けとなることへのプレッシャーであったり、メインボーカルである故の責任であったりというのを「綾瀬が」感じていそうだなということを容易に想像できてしまったし(なんで自分が胃痛に襲われているかの説明にほとんどなっていないが)、何より発表と同時期に綾瀬がスランプに陥っていたりとまあ懸念事項だらけであった。

 

 作詞作曲は毎度お世話になっている渡辺翔氏。「はりぼて」の時は非常に等身大な人の苦悩や羨望をまざまざと描いており、歌唱しているメンバーと同年代ということもあって劣等苦悩羨望の苦痛三点盛りの人生を送っている自分としては非常に苦しくなる曲だった。

 

 今回、「タキサイキア」の初お披露目は音源によるものだったのだが、それゆえに初めて聴くという状態でもある程度歌詞を聴きとることができた。曲調はホイッスルやティンパニを用いているのもあり滅茶苦茶に明るい。2番に差し込まれる変拍子から、突き抜けるような間奏のピアノソロ、そしてそこを抜けるとCYNHNにしては珍しい一瞬のノイズ系ボイスエフェクトと、要素盛りだくさんの夏にぴったりな爽快な曲であった。

 

 が、初めて聴いた段階で聴きとれた歌詞は概ね「緊張と高揚」「泣いて泣いて泣いて抗って綺麗じゃないけど」「ダークホース」「大嫌い」「ほっといて」「歌いたい」「夜が明けたら神様まで声届くくらい」「痛いくらいに叫んで」「誤魔化して勘定さえも勘違いするんだ」「問題ない」「さあここからだ」「最強で最弱の」「青すぎる奇跡」…こんなものか。印象深かったワードという意味でもあるので、ややネガティブに傾倒してしまっているきらいもあるが…。

 

 何度Twitterで繰り返したかわからないが、この曲は綾瀬志希を体現している。と思っている。勝手に。

 

 一見綾瀬志希は言動の面白おかしさ、張りすぎてキンキンするような会話の声、ツイートの文体なんかで面白枠というかイロモノ担当みたいな感じになっているし、実際表面をなぞるだけならおそらくそれで正解である。そこが「歌という軸に沿っていない時の綾瀬志希」だという認識は自分にすらある。

 

 が、そこはあくまでもキャラクター性に過ぎない。前回のブログで触れた内容の延長でもあるが、キャラクターというのは作れる。虚構を積み上げるというか、虚勢を張ることができるし、また外部から見て虚像のように見えてしまうこともある。綾瀬志希にそういうイロモノ枠として扱われる要素が全く存在しないとは言わないが、どちらかというと彼女は百瀬怜同様本来ネガティブ気味だと思っているし、繊細な思考回路で思い詰めているときも多々あるのでは?と思っている。そうでなければパフォーマンスの反省点を記したメモが4桁の大台に届くようなことはまずないし、私には歌しかないと自分を追い詰めることもないだろう。

 

 「タキサイキア」が綾瀬志希そのものである、と言って憚らないのはそういう理由だ。

 

 表面上は明るく爽快に聞こえ(見え)ても、それは葛藤と渇望と多少の鬱屈さを含んだ歌詞(内面)を覆い隠さんとする意思のなすモノ。

 

 ここまで来ると渡辺翔氏に関する考察に足を突っ込みかけているが、「タキサイキア」をただ明るいだけの曲に仕上げない、アクセントのための変拍子であり、一瞬のノイズエフェクトなのだろうと思う。綾瀬志希を面白おかしいだけの人間だと認識している人間が、時折当人がのぞかせるシリアスな一面や真面目過ぎる側面に引っかかりを感じそこでようやく内面に踏み込む機会が生まれるように、タキサイキアはただの明るい曲ではない、一筋縄では行かない技巧と解釈の余地に満ち溢れた曲であると言いたい。

 

 で、ここからは今までの解釈だの解説みたいなものを全て無駄にする感想。

 

 自分は世代が世代なので夏と言えばカゲロウプロジェクトを想起してしまう。

 

 そう、何を隠そう自分は悪名高きカゲプロ厨である。

 

 ジャージやパーカーや目つきが悪い人間や引きこもりがちな人間が好きなのも結局カゲプロが原因で、特に好きなのは物語に大きく関わる「ロスタイムメモリー」と、直接関わる曲ではないもののカゲロウプロジェクトのメインテーマと言っても過言ではない「チルドレンレコード」なのだが、これらは…特に後者は…あまりにも歌詞やMVが少年心をくすぐる。

 

 失ったものを奪い返す、過去の自分との対峙、絶望さえ希望に塗り替えるという意志、本来ありえないはずの延長戦、逆境、燃え上がる太陽、ヘタレ野郎から最善策とすら呼ばれる切り札となった主人公…いや、アツい。今年の夏の最高気温よりも。

 

 だもんで、初めてタキサイキアを聴いたときにネガティブ気味な言葉ばかり拾ってしまった、というのもある意味では習性の様なものである。「マイナスあっての逆転劇」というものに大層弱い性分で、タキサイキア全体の空気感はネガティブというよりも「泥臭くても見当違いでも弱くてもきっと巻き返して見せる、日陰者では終わらない、ダークホースとして駆け上がって見せる」というものであることは理解しているつもりだ。勝ち上がるという意志に説得力を持たせるためのネガティブワードである。

 

 元々閑散としたライブハウスでシンガーを目指していたからこそ説得力のあるフレーズだと思うし、いつぞやアメブロでも書いたが「綾瀬志希には今後の人生で逆転してほしい」と思っている自分としては、綾瀬志希以外では完結しようのない文脈のある曲だと思う。やっぱり逆転劇は見ていて気持ちが良いからね。

 

 ひとまず、この曲を書いた渡辺翔氏、無事歌い上げたメンバー、メインボーカルの重圧に折れなかった綾瀬志希、また折れかけている綾瀬志希に「この曲は綾瀬志希にしか歌えない」と発破をかけたマネージャーさんエトセトラエトセトラ、といった感じの皆さんに精一杯の感謝をし、一旦ここでフィナーレとさせていただきたい。続きは後日。

 


CYNHN(スウィーニー)「タキサイキア」Music Video

 

 なお、次回はMVについて触れたいので予習を欠かさないように。

 

 

タキサイキア/タイトル未定 (初回限定盤A)
 

 

 特典DVDとYouTube では内容に重大なレベルの差があるので両方確認してもらいたい。